やまいも横丁

そのまなざしに刺さりたい

SCHOOL OF LOCK!という学校に通っていた話

 2020年4月より、Official髭男dismがSCHOOL OF LOCK!でヒゲダンLOCKS!を担当するらしい。


 要するに、髭男、ラジオの新レギュラー決定!めでたい!(忙しすぎて心配だけど笑!)という話なのだが、このニュースはわたしにとって、他とはひと味もふた味も違う感慨深さがある。

 理由は、SCHOOL OF LOCK!の卒業生、つまり、元ヘビーリスナーだから。

未来の鍵を握るレディオ、と、わたし


 中学に上がってミニコンポをプレゼントされ、ラジオと音楽を聞くツールを自室に導入した私が、他の何よりも真剣に聞いていたのがSCHOOL OF LOCK!(以下SOL!)だった。どんな音楽を聞けば良いのかを教えてくれたのはSOL!だったし、わたしのミュージックライブラリの礎はSOL!によって形作られたと言える。


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 音楽だけではない。SOL!は大事な居場所だった。会ったことも見たこともない、ラジオの向こう側にいる全国の生徒(リスナー)たちと、放送と掲示板を通じて、多くの時間を共有した。訪れたこともない土地の同年代の誰かが、明日好きな人に告白しようとそわそわしているのにキュンキュンしたり、周りに打ち明けられず抱え込んでいる悩みについて一緒に考えたりした。


 そうやって、現実にはないたくさんのことを追体験した。


 SOL!が特別なのは、当時わたしがあまり学校に行けていなかった、つまり不登校だったことも大きく関係しているのだと思う。

 現実の学校はほとんど行けなくても、SOL!だけは毎日、それはそれは真剣に聞いていた(2007年終わりごろから、2012年頃まで)。夜10時の時報のあと、エレキギターがギュワーンと鳴いて、黒板にチョークを走らせる音が響いて、「起立!礼!叫べ!」のあいさつで始まって。放送の中で、自分と同じように学校に行けていない生徒が逆電されて、校長教頭に話を聞いてもらっていると、お世辞じゃなく、自分にメッセージをもらえているような気がした。そういった応援や、掲示板でもらった励ましの言葉が、どれほど大きな力になっていたかわからない。


いや、でも、大事だったのは、そんな直接的なことだけじゃなくて……。


 夏休みの宿題が終わらない生徒のために、9mm Parabellum BulletのLiving Dying Messageを流して、その間に解けるだけ問題解け!って言ったり(笑)
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 大人っぽいことを体験してみよう!というテーマの日に、「支払いの時に『(クレジット)カードで』ってかっこよく言ってみたい!」という生徒のためにミニコントをして、校長が「お支払いは?」って聞いてあげてる((支払回数)「一回で」、を言わせようとしている)のに、生徒の子がそれをわからなくて「カードで」って答え続ける時間が訪れたことがあったり(笑)(笑)


 大人と子供の言い分を、言い合ってみよう!という回に、大人代表で逆電されてたリスナーの人と当時の校長の議論が熱くなって、お互いの主張は平行線でまとまらず、最後の黒板までいかないまま終わりのジングルに入ったり。


 バレンタインの日に、ヨースケ@HOMEハルカリが「ギリチョコ」という曲を生演奏していて、それがすごくよくて、当時好きだった人のことを思いながら窓を開けたら雪がしんしんと降っていて、その時の光景が今も忘れられない……だとか。
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 受験のシーズンにはスーパーでToppaを探して買うのが毎年のお決まりで。(確か千葉雄大はSOL!のToppaモデルきっかけで芸能界デビューしたんじゃなかったかな?)

 
 キャッシュアンドリリース!

 
 ビロビロくん!


 クリアするファイル!


 茂木さん!!


……10代という多感で変化の多い時期に、SOL!の時間があったこと、SOL!を聞いている生徒のみんながいてくれたこと、SOL!というフィルターを通して世界を見ること、それは、本当に大事なことだった。SOL!がなかったら、わたしの人生、どんだけ薄っぺらだったんだろ。
 学校という擬似的空間に集い、同じ時間を共有するというSOL!の構造がもたらしてくれた、たくさんのこと。

 

当時のSCHOOL OF LOCK!


 わたしが聞き始めたころ(おそらく2007年終わりか2008年ごろ)のSOL!は、こんな感じ。

生放送教室
やましげ校長山崎樹範
やしろ教頭マンボウやしろ


GIRLS LOCKS!
新垣結衣
榮倉奈々
堀北真希
戸田恵梨香

(GIRLS LOCKS! FRIDAY)
栗山千明


ARTIST LOCKS!
月曜日 RIP LOCKS!(RIP SLYME
火曜日 BUMP LOCKS!(BUMP OF CHICKEN
水曜日 アジカンLOCKS!(ASIAN KUNG-FU GENERATION
木曜日 YUI LOCKS!(YUI



……豪華だなあ(笑)


ちなみに金曜日は木村拓哉の「What's up SMAP」というラジオが挟まれた。この番組名さえ、今となっては時代を感じてしまう。

 やましげ校長やしろ教頭も、めちゃくちゃアツイ人だった。やましげ校長の、不器用でまっすぐすぎちゃう感じ、やしろ教頭が、色々な可能性や選択肢を提示してくれるところ……いや、全部、本当に大好きだった。ふたりの掛け合いは世界一だよ。
 二人がそれぞれ本職である俳優、芸人(当時カリカ)としてではなく、あくまで校長と教頭として、生徒たちに全力で向き合っていたということ、今になって、そのすごさを痛感する。むしろ、校長教頭の立場に感情移入しちゃうな。
 やましげ校長が大好きだったから、とーやま校長に変わったときは、なんとも言えないさみしさがあった。でも、とーやま校長とーやま校長の良さがもちろんあったし、とーやまさんにもだいぶお世話になった。
 この3月でとーやま校長が退任。10年務めたらしい。すごいな。そりゃわたしもこんな年齢になるわけだ。最近、ちょこっと聞いたら、すごく滑らかにしゃべってて、感動しちゃったよ、校長!(偉そう(笑))


~~~


 GIRLS LOCKS!の冒頭、廊下を歩く足音と、引き戸をガラガラ開ける音(SE)が流れるんだけど、ラジオを聞き始めた当初のわたしは、それが本当に教室に入っていく音なんだと思ってたし、GIRLS LOCKS!とARTIST LOCKS!のコーナーが録音だなんてことを微塵も思わなかった。ウブすぎる笑笑

ガッキーはウィスパーボイスだから音量をちょこっと上げ目にして、それからガッキーの言う「ま、いっか」がかわいくて、
教頭はいつも榮倉奈々のことを「奈々様!」って呼んでて、
堀北真希はなぜか「まきんぽ」って呼ばれてて、図書部部長で、
戸田恵梨香はなぜかトッティて呼ばれてて。
栗山千明はオタクっぷりがたまらなくて。(わたしにとっての栗山千明は、SOL!の人>ゴーゴー(キルビル)。)


~~~


 アーティストLOCKS!で学んだことはあまりにも多い。

今でも夏に太陽とビキニが聞きたくなるのはRIP LOCKS!を聞いてたからだし(マジ名曲)、
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BUMPはとにかく神様だったし、
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アジカンにロックとは何かを教わって(喜多先生は声が高い)、
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初めて買ったアルバムはYUIの『I LOVED YESTERDAY』だった。
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 この後もどんどんレギュラーは入れ替わっていって、絢香RADWIMPS木村カエラくるりチャットモンチーBase Ball BearPerfumeflumpool、9mm、世界の終わり、サカナクション……いろんなアーティストのLOCKS!を聞いた。


 一番印象深いのは、ベボベ。毎回録音してた。
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 人生で最初にハマったバンドは、彼らだった。思い出が多すぎる。(ハマりすぎていたので、もはやここに文字にするのもしんどいものがある、ベボベを聞くだけで当時を思い出してウッとなる(笑)。)(湯浅将平というギタリストが好きだった……元気にしてるのかなあ……)
 あのとき掲示板でよくやりとりしていた「(AでもないCでもない、その狭間でもやもやしている)B組」のみなさんは、元気にしているんだろうか。


 チャットモンチーも大好きだったから、この二組のコラボ回、「チャボベLOCKS!」は垂涎ものだった。
「春風に乗って~悪魔がやってくる~て、き、の、な、は~~、花粉!!」
(この替え歌がピンとくる人がいたら、すごい。もしいたら、こっそりコメントをください、懐かしさを共有しましょう(笑))

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 LOCKS!に限らず、いろんなアーティストや楽曲との出会いがたくさんあった。



 Perfumeが生放送教室に初めて登場したときのことも覚えている。事前の情報をもとに彼女たちが好きなアイスが用意されていて、あ〜ちゃんが「なんで知ってるんですか〜!」(高音)を連発してて。


 くるりが、とある高校?中学?のオーケストラ部??を訪問して、一緒にブレーメンを練習・演奏した企画もあったなあ、なんだっけあの企画。わたしがくるりに出会ったきっかけ。
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 SOL!聞いてなかったら、10代のうちにミッシェルの世界の終わりを聞いて稲妻食らうということも、なかったんじゃなかろうか、わたしの場合。
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 書き出したらキリがない。


SOL!のイベント


そういえば、人生で初めて行ったライブも、SCHOOL OF LOCK!のイベントだった。

YOUNG FLAG 09

O.A. 間々田優
Perfume
9mm Prabellum Bullet
Dragon Ash

@Zepp Tokyo


 人生初ライブでZeppPerfume観た、っていま思うと結構すごい……たしか、のっちの21才のお誕生日お祝いしたなあ……今のわたしは当時の彼女の年齢をとっくに追い越してるんだなあ……ぼんやり。
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 この時聞いたDragon Ash、当時は良さをわからないまま、会場のグルーヴにただただ乗っかってたけど、ものすごいパッションだったことは覚えているし、この曲の前に言ってたMCも覚えてる。
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 あと、結局行くことはなかったけどムネアツイベントだったのが、閃光ライオット


 第一回の閃光ライオットが開催される前から聞いていたから、募集が開始された時、「こんなのがいま届いてるよ!」って、いくつか音源が流されて。その中でGalileo Galileiのデモテープの「ハローグッバイ」が流れた瞬間のことを、今でも覚えている。そのとき立っていた部屋の位置も覚えてる。
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GG大好きになってライブも何回も行ったし、いまもBBHFは大好き。


The SALOVERSも好きだったな~。
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あの日のSOL!


 あまり言葉にできないけど、書いておきたい。
 東日本大震災が発生したすぐあと、ラジオでいつものように校長と教頭の声が聞けたときの安心感。見えない誰かが心配で心配で仕方なくて、みんなでただひたすら祈り続けたこと。
 
 数日後、BUMPの藤くんがアコギ一本で「ガラスのブルース」を演奏してくれたときのことが忘れられない。
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「分けられない痛みを抱いて
 過去にできない記憶を抱いて
 でも心はなくならないで
 君は今を生きてる
 ちゃんと生きてるよ」

 即興で付け足してたこの部分。強烈だった。顔がぐしゃぐしゃになるほど泣いた。

 思い出しただけでも涙が出るし、ウイルスに人類の生命が脅かされている現在の状況を鑑みても沁みる。はあ、なんてこった。


10代と、現在と。


 毎日、「起立、例、また明日!」をして、スポンサー名が読まれて、最後の一言がちょろっと流れて番組が終わると、寂しくて仕方なかった。明日また学校に行けないんじゃないかと、現実と不安に押しつぶされそうで。
 
 けど、いつの間にか、聞かなくなっていた。いろいろあって、徐々に学校に行けるようになって、大学に入ってからは、忙しくてラジオを聞く時間もなくて。時期的にはおそらく、やしろ教頭が退任したころ、わたしもSOL!から離れていったのだと思う(出演者が変わったからではなく、自分の生活の変化にともなって)。


 今回、この記事を書きながら、SOL!の思い出・記憶をひたすら書き出してみた。ちょっと自分でも怖いくらい、覚えていた。一応、LOCKS!の曜日なんかは検索して確認したが、それ以外は、ほぼ記憶のまま。(だから、間違っているかも。)

 
 ある程度書いてから、YOUNG FLAG 09のレポートを見つけて、読み返した。


SCHOOL OF LOCK! LIVE TOUR "YOUNG FLAG 09"


出演者、曲、結構合ってる。
だが、レポートをみて、初めて思い出したものもあった。


校長のこの日の黒板。「ワスレテモイイ」。


 たしか、そんなことを言っていたのは覚えている。でも、いま、このレポを見返すまで、すっかり忘れていた。


 忘れてた、ということに気づかされた。わたし、忘れてたんだ。ちゃんと、忘れられるだけ、このライブを上回る経験をたくさん積んだってことなのかな。

 逆に、忘れていないことが多すぎるとも思った。そりゃあ、目まぐるしい学校生活の片手間にラジオを聞いていた人と、昼間学校に行かず、真剣に聞いていた人では、記憶への残り方は違うだろう。
 でも、この時を忘れてしまうくらいの、濃くて、熱量の多い時間に、わたしはその後ぶつかっていっていなんじゃないか。


 わたし、ちゃんと大人になれているんだろうか。


 思いがけず、そんなことを考えてしまった。そして、それは現在のわたしにとって少し耳が痛いことだった。どうなるか分からないことにも飛び込んで、無我夢中に向き合ってみることは、わたしにとってすごく怖いこと。あれこれリスクを想像して、それを回避することをまず考えてしまう。そうやって、ずっと同じところにいるんじゃないか。みんなは、失敗しながらもどんどん飛び込んでいって、大人になっていってるんじゃないのか。当時の校長や教頭が自ら体現しながら教えてくれていたのは、そういうことじゃなかったのか。
けれども、忘れずにいることもまた、校長や教頭に重なるところがある。つまり、初期衝動を忘れない人でいること。こうやって過去の記憶と時々遊ぶことで、10代のころの気持ちを忘れた「イヤな」大人になることは、少なくとも回避できている気がする。まあ、悪く言えば、中二病で片付けられてしまうところなんだろうけど。
 ワスレテモイイ、でも、忘れたくない。こうやって時々思い出して、ドキドキしたいよね。


~~~


 きっとわたしが「卒業」してからも、多くの生徒が集って、とーやま校長、歴代教頭と熱い時間を過ごしたんだろう。4月から、校長や教頭も新しい人になって、どんどん新しい番組になっていくんだろう。新しい教頭先生、同い年だ……!

 学校掲示板も、わたしがガラケーでポチポチ書き込んでいたころに比べたらめちゃくちゃ綺麗になってるし、10代の生徒のみんなもきっと、SNS慣れしてる世代だから、使う感覚が違うのかな。
 そうやって変わりながらでも続いてくれることはとても嬉しいし、願わくば、かつてのわたしのような誰かにとっての救いの時間であってほしいと、心から思う……あーなんかでも、この一言はイヤな大人っぽいなー、本心なんだけど(笑)。

 髭男が先生だったら、きっと受験や勉強、部活について、真剣に、良いアドバイスをしてくれるに違いない。学校掲示板には書き込まないけど、ツイッターでニヤニヤしながら聞くつもり。何の担当講師になるのかな?音楽の先生じゃそのまますぎるし、資産運用について聡くんが……いや島根大三人組の受験講座っていうのも……冗談です(笑)。



 当時の感じたこと、気持ちをたくさんの音楽とおしゃべりでタイムカプセルにしてくれた大切なラジオ。
 ちょっと蓋を開けてみたら、8000文字超えになっちゃったよ、なんてこった。

 

 海賊先生に手紙を書きたくなった。