やまいも横丁

そのまなざしに刺さりたい

「日々の感謝と ありったけの愛を」

今日で、ツイッターアカウントを開設してちょうど二年になるらしい。

 

開設のきっかけは……

高まり続けていた髭男への愛をファンの方と共有したいと思ったこと、

そして、髭男のベース/サックスのならちゃんのラジオ番組「ロヂベー」を聞いていて、

リスナーのみなさんがわいわいと盛り上がっているところに参加したくなったこと。

#ロヂベー のタグを追いながら放送を聞くのが楽しくて、そこに加わりたくなったのだ。

 

これまでも音楽は大好きだったし、ラジオも日常的に聞いている方なのだが、

ツイッターでファンの方と交流したり、ラジオの放送をリアルタイムで聞きながらツイートする、ということをするのはこれが初めてだ。

 

結果、めちゃくちゃ楽しませていただいている。

 

大学時代までは所属していた音楽系サークルの友人と好きな音楽の話を延々と語ることが出来たけど、気づけばそんな時間も減っていたし、

「そういう話が出来るコミュニティ」をちょうど欲していたのかもしれない。

 

SNSについてはなにかとネガティブな側面が語られることが多いし、

実際そうなのだと思う。そこそこ大人なのである程度の常識とリスクはわきまえているつもりだけど、それでも気を付けねばと常に自分に言い聞かせながら使っている。

 

でも、だからこそ余計に、嬉しい、楽しい気持ちを共有出来たときの喜びは大きい。

(「共有」って簡単に書いたけど、実際、発信者と受信者の間では案外齟齬をきたしているのかもしれない。それでも、それが共有できている「気がする」という錯覚にすぎないとしても、楽しいのは事実なのだ。)

 

 

そして、世界がコロナ禍に突入した2020年にこのアカウントを心の拠り所にできたことは、

いま振り返ってみても、すごく大事なことだった。

 

不安と陰鬱な空気で溢れかえっていた2020年3月、

母が病に倒れた。

コロナとは全く関係なかったが、母が大病を患って入院するのは初めてのことだったし、痛みで弱りきった母を見ているだけで、わたしの方が精神的にかなり参ってしまった。

加えて、この状況下では見舞いに行って面会することもできない。

医者に、治療の副作用で「感染症にかかりやすい状態になる」と説明されたときは、

それが治すための手段だと頭では理解していても、やりきれない気持ちになった。

 

先に書いておくと、その後母の症状は無事改善し、いまでは日常生活を送れるほどになっている。

ただ当時、コロナ禍で強いられたイレギュラーな生活形態に加えて、母の入院という非常事態が重なり、

わたしの気分は滅入りに滅入っていた。(しかも、当時の自分はそのことに自覚的ではなかった。)

 

そんな時、ロヂベーの時間が救いだった。

確か、母が入院した日もロヂベーをやっていて、

夜ご飯を作る間も食べる間も泣いていたのに放送聞いている間はいつものようにケラケラ笑ってツイッターでみんなと盛り上がっていて、

自分でも馬鹿馬鹿しくなってしまったのを覚えている。

 

趣味の話をするアカウントとして開設したつもりだったけど、

ステイホームの時間が増えたことでそれ以外のことをつぶやくことも増えたし、

それにFFさんが反応してくれるのが嬉しかった。

FFさんの生活をのぞき見させてもらえるのも楽しかった。

 

現実世界の友人たちとオンラインで話してバカ笑いする時間ももちろん救いだったが、

目の前のことを忘れてパーっと盛り上がれる人がツイッターの向こうにいてくれることが、それと同じくらい大きな救いだったのだ。

 

 

今後も、あくまで趣味の場として、気ままに使っていきたいと思っている。

ロヂベー、髭男きっかけとは書いたけど、これまでもずっと好きだったスピッツや、その他アーティストについてもつぶやくかなりの雑多アカウントだし、

忙しくなればTLを追う時間は順当に減る。

ロヂベーを始め、ラジオをリアタイしながらツイッターをすることも最近減ってきている。

 

でも、ラジオというメディアを通じてこそ作り上げられたコミュニティ、好きなもので繋がった人たちでできたこのコミュニティは、すごく大事な、わたしの心の拠り所なのである。

 

だから、声を大にして伝えたい!

いつもお世話になっているみなさん、本当にありがとうございます!

「日々の感謝と、ありったけの愛を」!

(日曜日のラブレター/Official髭男dism)