やまいも横丁

そのまなざしに刺さりたい

食わず嫌いを見つめる ~藤井風との出会い~

 食わず嫌いは良くないと、常々思っている。

 ひとくち食べてみなければ、おいしいのかまずいのか、一生知ることができない。食べてみない限り、それについて得られる情報はすべて他者からの伝聞、味以外の要素から汲み取る推測でしかありえない。だったら一度、食べてみたほうがいいと思う。例え実際それを食べてみて、「思っていた通り口に合わなかった……」という苦い結果に終わったとしても、経験して確認できた方がずっと良い。嫌いという意見が実体験によって補強されて、嫌いであるという主観がより確固たるものになると思う。

……なぜか嫌いなものについての持論ばかり語ってしまったが、これから書こうとしているのは「食わず嫌いしていたけれど、食べてみたらめちゃくちゃ美味しかった!」という話。

そして食べ物ではなく、音楽の話。

空前の藤井風旋風、そのときわたしは……


 藤井風という名前、そして「何なんw」という曲名が世で騒がれ始めたとき、わたしはちょっと食わず嫌いをした。食わずというか、「聞かず嫌い」。もっと厳密にいうと、「聞かず、依然無知」の状態をしばしの間継続させていた。

 というのも、正直に言ってしまえば、「何なんw」というタイトルに戸惑ったからである。

 すごく新しいというわけではないけど、いかにも、イマドキ感あふれる若者言葉。
 わたしに向かって発されている言葉ではないと頭では分かっていても、見るだけでドキッとしてしまう。これ、LINEで言われたらちょっと、傷つくなあ。でも、すっごく仲の良い友達とふざけ合ってるときだったら、なんとも思わないか。何かに毒づきたいとき、愚痴を言いたいときに使うことの方が多いかも。

「今日こんな理不尽なことあってさー!ほんとあり得ない、何なの!(標準語バージョン)」

「ちょっと~PCバグって全然反応しないんだけど~何なん~」

「毎回毎回家出る時間ギリギリになっちゃう~ほんと何なの。。」(わたしあるある)

……等々。

ちょっと、棘がある。

 余談だが、標準語しか喋れないくせにわざと語尾を関西弁っぽくしてしゃべる東京の若者というのは、わたしに限らず一定数いる(気がする)。「~だ!」「~じゃん!」の代わりに「~や!」「~やん!」を使ってみる、等。若者言葉の変遷については詳しくないが、私自身、「だ」や「じゃん」よりも語気を弱めて柔らかくしたいときに(友人同士のカジュアルな会話限定で)「や」、「やん」を使うことがある。「何なの」が「何なん」になるのも同じ経緯である。たぶん、ネイティブ関西弁話者のひとからしたら気持ち悪い使い方なんだろうな(笑)。

 そして極めつけの「w」。これがついたらもう、ニヒルな笑みをたたえ、呆れかえった顔で冷たく突き放している画が否応が無しに浮かぶ。しかも、スマホでインスタントメッセージを送るときのような、ドライな感覚。

 以上のようなイメージが、曲を聞く前のわたしの頭の中に広がった。これが、曲のタイトル。ゴールデンボンバーや、やばTの新曲です!と言われたらしっくりくる気がする。でも、ジャケット写真の印象や、薦めてきた友人の説明から考えて、その系統でもなさそう。

 とまあ、こんな具合で戸惑ったのである。
 一応補足しておくと、わたしが戸惑ったのは若者言葉をつかっている事実それ自体に対して、というよりは、ドライな若者言葉を使っていながら、重厚な音楽を奏でそうなイメージが固められていること、そのギャップ、そして「何なんw」(そして「もうええわ」)という言葉(表記)のもつ棘っぽさ、ニヒルさに対してである。


「一聞」は百見にしかず?

 戸惑ったので、しばしの間「聞かず、依然無知状態」に入った。

 が、そう長くは続かなかった。初めて聞いたのがいつだったかいまいち覚えていないのだが、界隈に巻き起こっていた藤井風旋風はすごかった。ツイッターのTLで彼の名前をみることが激増していた気がする。自分で検索して聞く、ということもしていたし、たぶんラジオでも流れていたと思う。
(またまた話はそれるが、わたしがラジオを好きな理由のひとつは確実にこれである。自分の好き嫌いに関わらず、幅広い音楽を耳にすることが出来ること、ビジュアルやタイトルといった要素よりもまず曲を聞けること。自分がすきなものだけをディグることが容易になって、メディアのパーソナル化なるものはが促進されている昨今でも、ラジオの役割は大きいと感じている。)

youtu.be


 そしたらまあ、良い。かっこいい。心地いい、気持ちいい、たのしい、おしゃれ、美しい、かっこいい。

うわあ。良い~~~~。

 「何なんw」の冒頭アカペラ部分ではやくもやられたし、メロディ、(形容する適切な言葉が思いつかないのだが)思わず身体が動きだすようなリズム、キメどころ、どこをとってもかっこよくて仕方ない。「もうええわ」はしっとりとしたピアノが心地よい……と思っていたらBメロに切り替わるところの転調!!気持ちいいーーー!!!サビ、三回目の「もうええわ」のコード展開も気持ちよすぎてクラクラするワ!
 
 巣ごもり期間に何度か行われた風さんのYou Tube弾き語り配信なども視聴して、カバーを含む風さんのパフォーマンスにもすっかりやられたわたしは、気づけばちゃっかりアルバム「HELP EVER HURT NEVER」初回限定盤を購入していた。


藤井風とことば


 風さんの音楽の虜となってしまった今、「聞かず、無知の状態」期間を設けていたことはもはや謎である。こんなにすごい世界に触れ合うチャンスを目前にしておきながらただキープしていたとは……。
 しかしながら、今こうして風さんの音楽に圧倒されたからこそ、わたしが「聞かず、無知の状態」をしてしまった理由、「何なんw」「もうええわ」というタイトルに対して感じた戸惑いのわけというのは、考察に値するような気もするのである。
 

藤井風と方言

 「何なんw」「もうええわ」、両者の歌詞に注目してみて分かることは、まず「方言が強烈!」ということである。「何なんw」の冒頭の歌詞がこちら。

あんたのその歯にはさがった青さ粉に


 ……ええと、何をおっしゃっている???
首都圏で生まれ育ち、方言をもたない(故に方言への憧れがかなり強い)わたしには、一回聞いただけでは理解できない一文。はさがる、ってなんだろうか……文脈から考えて、挟まるということだろうか……。「青さ粉」とはつまり、青い粉、歯にはさまった青い粉……青のりのことで合っているだろうか……。
 しかしそれよりも重要なのは、この「あんたのその歯にはさがった青さ粉に」という言葉の並びが、この曲のリズム感、グルーヴ感、そしてメロディにピッタリと合っていて、さらに言えばそれが風さんの歌声に乗って放たれるとき、これ以上完璧な組み合わせはないと思わされるほど自然に収まっている、ということだろう。
 たとえば、これが「あなたのその歯にはさまった青のりに」だったらどうか。どうも、「あなた」と三つ続く"a"の母音の主張が強い気がするし、「はさまった青のり」はあまりに情けない。「はさがった」の「が」の濁音が絶妙な位置にいることに気づかされる。

サビに関しても同様だ。

それは何なん 先がけてワシは言うたが
それならば何なん 何で何も聞いてくれんかったん
その顔は何なんw 花咲く町の角誓った
あの時の笑顔は何なん あの時の涙は何じゃったん


「何なん」や「くれんかったん」、「何じゃったん」と、「なん」「たん」が生む節のようなものが心地よい。「何なん」と繰り返したあと、「何じゃったん」で終わるのもまた、締まりが良い。

 作詞作曲をしている風さん本人が普段から使っていることば、頭の中で話していることばを使って歌詞にしているのだから、彼にとってみれば当たり前なのかもしれない。が、これはなかなかに斬新だと思う。方言をここまで露骨に取り入れながら、方言を方言として、つまり標準語との差異を明確に押し出すことを主たる目的とするのではなく、あくまでその音楽に最も合う形で紡ぎだし、それを洋楽かと聞き紛うほどのグルーヴ感満載の楽曲に落とし込んでいる例というのは、あまり聞いたことがなかったし、衝撃だった。(洋楽と邦楽の音楽的な違いはなんぞや、という議論は棚に上げさせていただくということで……ここでは、風さんの音楽のノリやビート感が、本場のR&B、ブラックミュージックにひけをとらないそれだということをいいたいわけです。)

 よく、日本語では洋楽にあるようなビート感、グルーヴ感を出せない、というようなことを聞く。母音や子音の数の違い、文法のちがい、様々な要因はあるのだろう。しかし風さんはその辺の問題を、方言をまじえた歌詞によって軽々と乗り越えてしまっている。むしろ、方言の語感を、そういったビート感を生かすために活用することに成功している。


しかもそれは方言だけではなく、若者言葉を使うことによって、でもあるのだ。

藤井風とイマドキの言葉

 極めつけはブリッジ部分の「やばめやばめ」だと思う。
 ぼけーっとこの曲を聞いていたとき、ここではもっとかっこいいキーワードや、英語か何かのフレーズを繰り返していると思っていて、まさか歌われている歌詞が「やばめ」だとは思いもしなかった。J-POPと呼ばれる楽曲では、「やばめ」だということを表すために、それを違う言葉に置き換えたり、比喩を使ったりと、ありとあらゆる表現を駆使している場合が多いと思う。しかし風さんはここで、若者をはじめとする現代人が安易に、しかしニュアンスを損なわない形でかなり高い頻度で使っているであろう俗で卑近な言葉を、作詞における既成概念のようなものに屈託せず、そっくりそのまま取り入れてしまう。「やばめ」はつまり「やばめ」ということなのだ。しかも、この言葉を繰り返すことによって、この曲独特のグルーヴ感が生み出されている。彼は英語もぺらぺらと操るし、この部分でそれっぽい英語のフレーズなんかが用いられていたとしてもそれはそれでかっこいいと思うのだが、「やばめ」であることによって、言葉が等身大なものだと強調される。

 俗っぽい言葉を用いながら、それをおしゃれな楽曲に融合・昇華させてしまう天才だと思う。

 加えて、風さんが歯に挟まった青のりを指摘しようかどうか悩んでいる相手、「それは何なん」と語り掛けている相手は誰なのかを検討していくと、この曲で扱われているテーマがそんなに俗っぽいものではないことが分かる。

誰に対して?

 「あの時の笑顔は何なん」、という歌詞を聞いたとき、まずわたしが思い浮かべたのは、振られた男が元恋人とのかつての楽しい日々を思い返してむしゃくしゃしている様子だった。ゆえに、「何なんw」という語り掛けについても、その相手(他人)に向かってされているものだと考えていた。だから、冒頭に感じた通り、この言葉にとげとげしさを感じていた。

……なんと一辺倒な。。わたしは世に溢れる恋愛ソングによほど毒されているらしい、とつくづく思わされる受け止め方である。ただ、曲の中で誰かに語り掛けている楽曲を聞いて、それが恋人や友人、はたまた権威や権力など、他者(外部)に語り掛けているものだと捉えることは、まあ一般的なのではないか。

 しかし、聞けば聞くほど、これを元恋人に対してのメッセージとして捉えようとするとつじつまやニュアンスが合わないように思えてきた。
 と、思ったら、本人が楽曲について語っている動画があるじゃないの。

youtu.be


 ……目から鱗だった。
 「誰しもの中に存在するハイヤーセルフを探そうとする歌」。かなりスピリチュアルな感じがするし、正直全く馴染みのない言葉だったので少々戸惑ったのだが、要するにこの歌で歌われていることは、自分をより良い状態へ導こうとしているもう一人の自分のような存在との対話、ということのようだ。
 具体的に意味を咀嚼できてはいないと思うが、この解説を踏まえて聞きなおした時、これまでわたしが歌詞の表現に感じていた違和感やとげとげしさに合点がいった。自分自身に対して投げかけている言葉なのだと考えると、「何なん」という言葉のもつとげとげしさはむしろ、ちょうど良くなる。「肥溜めへとダイブ」くらいのことも言ってのけてしまえるだろう。(この歌を元恋人へのメッセージソングとして捉えていた時、いくらなんでも元恋人に「肥溜めへとダイブ」はないだろう……と考えていた。)
 とすると、わたしが冒頭に書いたような例、家を出るのがギリギリになってしまう自分への喝としての「何なん」の例は、(あまりにも日常的ではあるが)まさにこの曲で歌われているテーマとピッタリ合致する。

 ここまできて、やっと、わたしは「何なんw」のニュアンスを(あくまでわたしなりに)理解できた気がした。あーーすっきりした。元恋人に対して「肥溜めへとダイブ」と言ってのけてしまう人の歌じゃなかったーー!
 ちなみに「もうええわ」も、わたしが当初想像していたよりも圧倒的に大きなスケールのテーマを歌っていることが後から分かって目から鱗がボロボロ、だった。

食わず嫌いを見つめてみる

 もし、わたしが風さんの名前に出会った当初からフラットに風さんの音楽を受け止めようとしていれば、解説動画にスッスッとたどり着いて、「なるほどなるほど」と、(そのスケールの大きさに驚いただろうことはうけおいだが)すぐに理解できたのかもしれない。しかし、「何なんw」や「もうええわ」という特徴的な言葉に「クセ」を感じたからこそ、そのギャップが持つ魅力に気づけたのだとも思う。だから、食わず嫌いをしてしまったときにまずすべきは、なぜ食わず嫌いしてしまったのかを考えること、つまり食わず嫌いしてしまう原因となった自分の凝り固まった見方、偏見のようなものを捉えなおすことなのかもしれない。誰しも偏見をもっているわけだから、むしろそのことには素直でありたい、と考えてみたりして。とはいえそもそも、「食わず嫌い」をしてもそんなこと考えようとも思わないトピックもごまんとあるわけで……その点、風さんには「なんだか臭うなあ」という直感があったし、実際蓋を開けてみたらとんでもない世界が広がっていたわけだから……うーんやっぱりすごいな。むしろ、クセのあるタイトルにしてわざと臭わせていたのだろう。結局風さんの掌の上で転がされまくっているのだ。
 

 方言と若者言葉を駆使したフランクな表現で、着飾ることなく自らの世界観を歌詞にし、しかもそれを自らが紡ぎ出すにメロディにこれ以上ないほどぴったりとした形に組み合わせるひと、藤井風。「風さんぽい」言い回しや言葉がファンの人の間で浸透しているのも不思議ではないし、藤井風旋風のすさまじさには首肯するよりほかないと、実感させられた。





【おまけ】

 風さんの凄さについて書かれた記事や、そのサウンドをわかりやすく、適切な言葉で解説したもの等はたくさんあると思うので、今回はなるべくわたしが感じたことを中心に記述した。風さんについての客観的・具体的な解説が気になった方はそれらを見ていただければいいと思う。なお、Creepy NutsのDJ松永さんがラジオでお話していた内容がとてもよかったのでこちらにリンクを添付。こういってしまうと大変おこがましいが、わたしが感じていたことを的確に言葉にしてくれていて、共感につぐ共感でした。「ストーリー性100点!」とか、まさに。笑
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